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兰柯夢

ともないよ

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ともないよ

喧嘩をして負けた。無謀なことをしてしまった。どう考えたって素手では勝てないのに。
 自分の感情に流されるまま握りしめた左の拳を相手に力一杯突き出したところ完璧にヒットした。手応えも十分あった。普通の相手なら見事にノックアウトさせているだろう。だが相手が悪かった、いや、悪過ぎた。武道有段者ならともかく、そこらにうじゃうじゃいるひ弱な中年オッサンが素手で互角に戦えるような相手ではなかったのだ。相手に完璧にヒットはしたものの、自分が放出した力とまったく同じ力が作用反作用の法則に従って、そのまま握りしめた左拳の甲、いや左手中指の拳頭に炸裂。怒りの感情に流されるまま放出した力に手加減などなく、それが広い範囲に分散して返ってきたのならまだしも、拳頭一点に集中したものだから「激痛」などというありふれた言葉では表現しきれない強烈かつ生半可でない痛みに一欠片の声さえ出ず、今までにしたこともないような顔の歪みと共にその場に蹲ってしまった。
 完全に侮っていた。今までも何度となく、こいつに拳を突き出したことがあって、それなりに自分の力が優っていると無意識に思っていたが、今回と言う今回は完全に負けた。完膚なきまでに叩きのめされたと言っていい。
 右手でこの世のものとは思えない痛みに襲われた左手の甲をさする。右手のその反復運動のスピードは自分ではマッハの領域と思えるほどで、このままさすり続けているならば左手の甲の肌が摩擦ですり減って消滅し、やがて骨が露呈されるのではないかと危惧する。だが右手の反復運動はその動きを止めない。左手中指拳頭を襲った激しい痛みは、その不安を凌駕するに十分なものだったのである。
 暫くしてその激しい痛みが治まりだし、それをさする右手の反復運動のスピードもマッハと思えるような領域から人間が十分認識できるスピードにまで落ちた。そして、やがてそのスピードが亀の歩みにも似た頃になって、私は左手中指拳頭辺りを凝視した。
 腫れている……。十分に腫れている……。誰がどう見ても「滅茶苦茶腫れている」と言うだろう。そして色が変だ。肌の色が普通の人間の肌の色とは思えないほど、どす黒い。恐る恐る右の人差し指でその部分を触ってみる。さっきまで右手でマッハの領域とも思えるスピードでさすっていたくせに、いざじっくりと指で触ろうとすると何とも表現のしようのない不安が襲ってきた。脳裏に、十数年前に左手中指の骨にヒビが入った際の事と、これまた数年前にワンコに思い切り引っ張られて顔面を地面に、さもジャックナイフのように刺さるかの如く打ちつけられて顔面裂傷及び左上腕筋挫傷を負った際の事が過った。
「まさか、骨が折れたか?」
 そんな大きな不安に苛まれつつ、喧嘩相手を見る。相手は「お前など俺の足元にも及ばんわ」とでも言いたげに、それでも泰然としていて、こちらに攻撃を加える素振りは皆無であった。その様を見ているとスキだらけだから本当なら反撃してやりたかったが、残念ながら私にはもうそんな余力は一滴も残っていなかった。そして私に訪れた猛烈な悔恨の念。何て馬鹿で大人げないことをしてしまったのだろう。

 
 皆さん、腹が立っても、その感情に流されてはいけない。血気盛んな若者ならばまだしも、五十をとうに超えた大人が怒りに任せて後先考えずに頭に思いついたことをそのままやってしまってはいけない。相手も昔とは違って進化しているのだ。
 思えば私のような世代は「どつけば言うことをきく」と思いがちな世代だ。昔はそれで大体のものに対して通用していた。しかし時は流れ時代は進み、相手も信じられないくらいの速さで進化していて、実はもう私は置いてけぼりにされていたのである。なのに昔と同じような感覚で接したりしたものだから予想外の反撃を食らって返り討ちに会ってしまったのである。

 そうなのだ……。家電製品を侮ってはいけないのだ。確かに筐体は昔と比べて金属部分が激減したが、その分軽量かつ頑丈な硬化プラスチックの類が使用されていて、下手に力を込めてどついたりすると今回の私のような目に会うのである。
 昔、テレビの映りが悪いからと言って本体側面を手で叩いたりすると直ることがよくあった。洗濯機から変な音が出ているなと思ったら、その側面辺りをキックすると、その異音が消えたりすることもよくあった。機械が言うことを聞かないのであれば、掌で、拳で、足で、一撃なりを入れてやれば、それらは素直に自分の言うことを聞いてくれた。その昔の習慣が私を今回の行動へと駆り立てたのだ。
 掌で叩いても直らん。蹴りを入れても何も変わらん。あれこれやっていたら、しまいに頭に来てしまって、「どうして俺の言うことを聞いてくれんのだ!」という怒りの感情によって生まれたエネルギーと共に拳を繰り出したものの、相手は昔のようなひ弱な筐体ではなく、人間の拳など簡単に跳ね返すボディを手に入れていたのだ。

 ああ、負けた……。こんな日が来るなんて夢にも思っていなかった。今度頭に血が上ったら、それ相応の道具を使って一撃を食らわしてやろう。何と言っても私は人間である。「道具」という「英知の結晶」を使えるのだよ、あははは。しかし、そうなると本当に壊してしまいそうだ。直すのか目的なのだがな……。いやいや、つまりは方法論を間違えてるってことか。あはははは。

 それにしてもまだ痛い。昨夜から湿布を貼っているが、まだ痛みが引かないから困ったものだ。骨は折れていないようで、おそらくは打撲である。それが不幸中の幸いだ。良い子の皆さんは決して私の真似などされぬよう。
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